皆さん、こんにちは!
Tomomiです。╰(*´︶`*)╯♡
皆さんは「アリとキリギリス」の話知っていますか?
「アリとキリギリス」は
ギリシャの寓話作家イソップが
書いたとされる物語ですが、
皆さんはこの物語をどの視点で認識していますか?
この物語のあらすじは、
夏の間アリは、冬のために食糧をせっせと集め、
キリギリスはそれを傍目に優雅に音楽を奏でて遊んで暮らして、
冬になった時に食料がなくなり、
アリに助けを求めると、
自業自得とばかりに無残にも見捨てられる・・・Σ(゚д゚lll)
というお話でした。
(ちなみに、最近は、
最後アリがキリギリスを助けると言う
結末に変更されたみたいです…f^_^;)
だから、
「遊んでばかりいないで、真面目に働こうね。( ˘ω˘ )」
という教訓として私は長年理解していましたが、
先日とある動画を観た際に、
「僕は『アリとキリギリス』の話、
子供の頃から違和感感じてたんだよね。」
とおっしゃってる方がいて、衝撃を受けました。((((;゚Д゚)))))))
その方の視点では、
キリギリスは音楽を提供して皆んなを楽しませてくれる、
今で言うところの「アーティスト」。
つまり、遊んでいた訳ではなくて、
自分の才能である音楽を奏でて
無償で皆んなを楽しませてくれていたのだと。
なのに、アリは、
「夏の間、働かなかったお前が悪い!」
と困っているキリギリスを見捨てると言う結末…。Σ(゚д゚lll)
皆さん、どうですか?
この視点で物語を見ると、
全く違う世界観が見えてきませんか?
私は、今まで何の違和感もなく、
この物語を理解していたので、
キリギリスの立ち位置を変えた時に、
全く逆の価値観が見え、かなりの衝撃を受けました。
そして、今の時代、
この視点の転換が求められているのでは無いか?
と思ったのです。
私たちは、皆、「実直に働く『働きあり』であるべき」
と言う社会概念に縛られていたのでは無いかと思ったのです。
もちろん、「実直に働くことが好き╰(*´︶`*)╯♡」
と言う方も中にはいらっしゃるかもしれないけれど、
本来私たちは、それぞれ何らかの
「得意技」を持って生まれてきています。
それは、ひょっとしたら、
キリギリスのように「音楽家」としての才能かもしれないし、
「料理上手」かもしれなし、
「話す」ことかもしれないし、
「人を笑顔にさせる」ことかもしれない。
色んな得意技を持っている人たちを
一括りに「働きアリ」にするのは、
今となってはとても違和感を感じます。
これからの時代は、
個々が自分の得意技に気付いて、
得意なことをして、社会に還元していく・・・。
そんな時代になっていくのではないかなと思います。
みんながそれぞれの光を放つ時代。
随分カラフルで綺麗なんだろうな。。。(*^o^*)
皆さんも、今まで
疑いもしなかった「当たり前」とは違う視点を
探してみてください。
その違う視点が持てた瞬間に、
思いもしなかった希望や可能性が
浮かんできますよ。(^_−)−☆